バベルの本箱

ミステリー&幻想怪奇&文学:徒然なる読書備忘録

 魔女の隠れ家

 
魔女の隠れ家 (創元推理文庫 118-16)魔女の隠れ家 (創元推理文庫 118-16)
(1979/04)
ディクスン・カー

商品詳細を見る


*フェル博士シリーズ第1作

 アメリカの青年タッド・ランポールは、大学卒業後、恩師に「辞書編纂家兼探偵」フェル博士を訪ねるよう薦められ、イギリスの田園地帯の町、チャターハムを訪れる。到着早々聞かされた、不気味で不穏な言い伝え。博士の家の程近く、かつて監獄だった地所の持ち主であるスタバース家では、代々相続人たちが原因不明のまま、首の骨を折って死ぬという事件が続いていた。一方、この家では、相続人(長男)が25歳の誕生日の晩、監獄内の長官室で一夜を過ごし、金庫の中の書類を持ち帰らなければならないという決まりがあった。ランポールが訪れた際も、丁度この慣習が実行されようとしていたが、人々が監視する中、またしても不可解な怪死事件が起きてしまう。呪いによる死か、人間の手による殺人か?助手格のランポールを従え、フェル博士の華麗な推理劇が繰り広げられる。

 「魔女の隠れ家」とは、元監獄の建物の傍にある絞首台のこと。かつて魔女裁判に掛けられた多くの女性たちがここで命を落としたという。タイトルと舞台の不気味さから、かなりオカルティックで怪奇趣味な話を予想していたが、ずんぐり体型で赤みを帯びた大きな丸顔、時に皮肉、時にユーモラスな笑顔を浮かべる愉快で力強いフェル博士(当時47歳)のおかげで、陰鬱な雰囲気が和らげられ、推理と事件の行方を楽しく、興味深く見守ることができた。監獄の外に掘られた深い堀(井戸)、コレラの発生源となるこの忌まわしい暗い穴に隠された秘密、かつての長官たちが遺した"狂人日記"、霧の立ち込める田園地帯の夜、そしてまさしく命懸けの深夜の肝試し!!不気味な伝説を裏付けるような道具立てがぞくぞくと登場するも、事件の内幕は至って現実的で世俗的なもの。フェル博士の前では、呪いも超常現象も敢え無く打ち破られ、恐怖の正体が白日の下にさらされてしまう。停車場で犯人を追い詰める(名指しする)最後の場面まで、犯人もトリックも全く予測がつかず、見事に一本取られたという感じ。動機や登場人物同士の心理的な遣り取り等については、やや大雑把な印象が残るものの、細部にわたって完璧に辻褄が合い、純粋に謎解きと本格黄金時代の雰囲気を味わうことができた。
 
 密室トリックを中心に、本格中の本格、不可解な謎解きにこだわり続けたディクスン・カー。このフェル博士シリーズは1933年から1967年まで全23作発表され、「メリヴェール郷」と共に著者の作品を代表するシリーズとなっている。

*ギデオン・フェル博士シリーズ(ディクスン・カー名義)
1933年 『魔女の隠れ家』
1933年 『帽子収集狂事件』
1934年 『剣の八』
1934年 『盲目の理髪師』
1935年 『死時計』
1935年 『三つの棺』
1936年 『アラビアンナイトの殺人』
1938年 『死者はよみがえる』  
1938年 『曲がった蝶番』
1939年 『緑のカプセルの謎』
1939年 『テニスコートの謎』
1940年 『震えない男』
1940年 『連続殺人事件』
1942年 『猫と鼠の殺人』
1944年 『死が二人をわかつまで』
1946年 『囁く影』
1947年 『眠れるスフィンクス』
1949年 『疑惑の影』
1958年 『死者のノック』
1960年 『雷鳴の中でも』
1965年 『悪魔のひじの家』
1966年 『仮面劇場の殺人』
1967年 『月明かりの闇』

 帽子収集狂事件

 
帽子収集狂事件 (創元推理文庫 118-4)帽子収集狂事件 (創元推理文庫 118-4)
(1960/09)
ディクスン・カー

商品詳細を見る


 *フェル博士シリーズ第2作

 ロンドン市内では、帽子盗難事件が多発し、一方、ロンドン塔逆賊門の階段では、太矢で身体を貫かれた男の死体が発見される。死体の頭には、別の人間から盗まれたシルクハットがのっており、帽子盗難事件との関係が疑われるが・・・。フェル博士(+ランポール助手)、今度はロンドン市内で世にも不思議な怪事件を追う!!

 帽子盗難事件とロンドン塔殺人事件と、エドガー・アラン・ポーの未発表原稿紛失事件。一見、無関係に見えたこの3つの事件、関係者一人一人の行動と動機を洗い、状況を詳しく検分していくことによって、思いも寄らない"鍵"が発見される。主役はロンドン塔に横たわる死体、そこから伸びる一本の糸に2つの糸が絡まりあい、偶然と必然の要素を積み重ねて、世にも奇妙で不可解な難事件が仕立て上げられる。フェル博士とロンドン警視庁のハドリー警部が執り行う参考人徴収、思わせぶりな言動に惑わされぬよう気を引き締めるも、それに代わる真実が一向に見えてこない。事件の鍵、2つまではまだしも、最後の一つがどうしても見つからない・・・・・。
 オカルティックな雰囲気は一切なし、とにかく折り重なる断片をどのように捉え、どこに突破口を見出していくか、新奇な着想と華麗な謎解きの手腕には、もはや溜息しか出てこない。今回は犯人憎しというよりは、幾分悲しみと遣り切れなさの残る真相。だからこそ、フェル博士たちの最後の選択に安堵し、爽快な幕切れを迎えることができた。
 
 本作品は江戸川乱歩が『三つの館』と共に大絶賛し、雑誌のエッセイ(1947年4月)「類聚ベスト・テン」(現在の私のベスト・テン)にも選出している。

 弟の戦争

 
弟の戦争弟の戦争
(1995/12)
ロバート ウェストール

商品詳細を見る


すべての戦争を憎む者たちへ

 ぼくの3つ下の弟フィギス(アンディ)は、生まれた時から二つの世界を同時に生きている。例えば傷ついた動物だったり、遠く離れた国の呪術師だったり、飢えで苦しむ子どもだったり、全ての境界を越えて、それらの心と同化し、その痛みや苦しみを同じように感じてしまうのだ。テレパシーなんてものが本当に存在するかどうかは分からない。でもとにかく「心と心のつながり」が突然生まれ、見知らぬ何者かが乗り移ってしまうのだ。とは言っても、時間が経てば元に戻るし、ぼくたちは"特別感じ易い子ども"として、これまでそっと見守り続けてきた。だけど1990年、湾岸戦争が始まった夏、フィギスは遂に僕たちの前から永遠に姿を消すことになる・・・・・。
 イギリスで、子どもの読者が選ぶ賞を複数受賞、ヨーロッパ各国でも評判となり、シェフィールド児童文学賞受賞、カーネギー賞特別推薦、ウィットブレッド賞等を受賞する。

 イギリスの裕福な家庭の子どもに突如乗り移った、イラク少年兵士の魂。彼の表情や言動一つ一つが平和な日常に亀裂をもたらし、生々しい戦場の状景をまざまざと見せ付けられることとなる。途轍もなく残酷で過酷な試練、まさしく茶の間に生首が転げ込んできたかのような衝撃・・・・・。1990年当時、テレビに映る戦争のニュースを他人事のように眺めていた自分自身の姿を振り返り、改めて遣り切れなさと自省の思いを噛み締めながら、読み進めていった。
 アメリカを中心とした多国籍軍、「アメリカの子分」としての存在であったイギリス。彼らの行った湾岸戦争そのもののあり方に対し、激しい矛盾と憤りの念を込めて描かれた戦争の物語。どこか遠い国で起きている戦争、二次元的、テレビゲーム的な戦争。圧倒的な軍事力と高度なコンピュータ技術によって、国際情勢上の障壁を、出来るだけ手を汚すことなく効率的に滅ぼしていく。だけど、幾ら実感を伴わなくとも、目に見えなくとも、画面に映らなくとも、現場では確かに多くの血が流され、多くの命が失われていく。綺麗な戦争なんてものは存在しない。"悪"と"善"の戦いなど、都合の良い、一方的な主観、デマゴークに過ぎない。どれだけ技術が発展し、戦争の手法が変わろうと、戦争とは人と人が殺し合い、暴力によって相手をねじ伏せる行為でしかないのだ。
 
 戦争というものに対する意識に隔たりが生まれ、切実な思いを伝えることが難しくなってしまった昨今、戦争の物語、反戦作品の有り方も少しずつ変わっていかなければならないと思う。巧妙な手口に惑わされず、戦争というものが何か、その現実について、リアリティを持って伝え続けること。平和というものは、何の努力もなしに継続し得ないものであり、戦争によってではなく、戦争をしないことによって守らなければならないこと。そして無駄な命を犠牲にすることなく、問題を解決できる方法を模索し続けること・・・・・。全ては各人の「生きたい」という思い、自身を含めた"命"というものに対する意識から始まるのかもしれない。

 八つ墓村

 
八つ墓村 (角川文庫―金田一耕助ファイル)八つ墓村 (角川文庫―金田一耕助ファイル)
(1971/04)
横溝 正史

商品詳細を見る


 鳥取県と岡山県の境にある山中の寒村・八つ墓村。戦国時代、この地に流れてきた落ち武者8人を村人たちが惨殺し、後にその首を祀ったことからこの名が生まれたという。時は流れ、大正時代、村の分限・田治見家の長男・要蔵が突如発狂し、32人の村民を虐殺し、行方不明となる事件が起きる。これも落ち武者たちの呪いか。時を経ても消えることのない過去の罪業と、その祟りに脅える村人たち。そして20数年後、田治見家の血縁者・辰弥がこの村に呼び戻された時、またしてもこの地を不可解な連続殺人事件が襲う・・・。

 たたりじゃ〜!!白鉢巻から鬼の角のごとく突き出した二本の懐中電灯、片手に日本刀、片手に猟銃を携えた男が繰り広げる血の惨劇。暗闇に浮かび上がる白塗りの双子の老婆。迷路の如く地中奥深くに眠る巨大な鍾乳洞に隠された謎。「八つ墓村」という聞くだに呪わしい名前に象徴される、おどろおどろしい舞台背景に道具立ての数々・・・。
 これまた映像のイメージが鮮明な作品であるが、外見の毒々しさ、派手派手しさに比べ、殺人の方法(毒殺)やトリック、犯人の動機等は意外に地味で、現実味・説得力のあるものばかり。読み進めるほどに地に足の着いた、落ち着きのあるミステリという印象が強まっていった。また昭和13年に岡山県で実際に起きた「津山事件」を下敷きに描かれているだけに、閉鎖的な村社会内の確執や、偏執的な人間の突発的な狂気等、リアルな薄ら寒さを存分に感じることができた。
 今回は語り手が辰弥であり、謎の美女や童女(?)たちに翻弄される辰弥の揺れる"男心"がサブ・テーマ、謎解きもほぼ彼一人の手によって行われ、金田一耕助の影はやや薄め。それでも、やはり随所で天晴れな働きをしてくれるし、推理の道筋も確か、心強い味方であることに変わりない。
 但し、序盤から立て続けに、余りにも人が死に過ぎ。そこに潜むからくり自体は見事なのだが、あまりの連続ぶりに感覚が麻痺していき、一つ一つの死や被害者に対する余韻や恐怖が次第次第に薄まってしまった。また最後の辰弥の逃亡と宝探しの場面は、落ち武者の霊も霧散してしまうほど妙に俗世的で、八つ墓村の恐怖もどこへやら、しばし呆気に取られてしまう一幕も・・・。
 
 結局、一番恐ろしいのは、白装束の亡霊ではなく、個人或いは複数の人間の心に潜む妄信や偏執的思考、それらが作り上げる狂気と闇の幻影。それらが飽和状態となって爆発する瞬間。そして一番忌むべき・恐れるべきは、今や日常的に、余りに軽々しく再現される「八つ墓村」の世界なのかもしれない。 


*「津山事件」(津山三十人殺し)関連書籍
(ノンフィクション)
・松本清張「闇に駆ける猟銃」(『ミステリーの系譜』)
・筑波昭『津山三十人殺し』
・蜂巣敦『八つ墓村は存在する』

(小説)
・西村望『丑三つの村』
・岩井志麻子『夜啼きの森』
・島田荘司『龍臥亭事件』etc.

(その他)
・PS2「SIREN」
「サイレンが鳴ったら外に出てはいけない」、ではなく「サイレンが聞こえる者がいたら・・・・・」(映画版「サイレン」)のオチの方がずっと怖い・・・・・。

 ゴールデンスランバー

 
ゴールデンスランバーゴールデンスランバー
(2007/11/29)
伊坂 幸太郎

商品詳細を見る


第5回本屋大賞受賞

 仙台市で凱旋パレードを行っていた金田首相が、ラジコンヘリに仕掛けられた爆弾で暗殺された。非常事態により、即時全ての交通が封鎖され、総合情報課が出動、現場は混乱を極める。しかし翌日には早くも容疑者が特定され、監視カメラや盗聴の仕掛けを駆使した大掛かりな捜索が実施される。容疑者の氏名は青柳雅春、仙台市に暮らす元配達員の30代の男性、動機は不明だが、おそらく単独での犯行と思われる・・・・・。一方、暗殺事件の直前、青柳は旧友の森田に呼び出され、思い掛けない話を聞かされる。「おまえは、陥れられている」、逃げろ、オズワルドにされるぞ・・・。

 首相暗殺の濡れ衣を着せられた男の必死の逃亡劇。だけどこれは、"真犯人"を捕まえることでハッピー・エンディングを迎えるような単純な話じゃない。何故なら、男を陥れたのは個人ではなく、国家権力という衣を纏った巨人なのだから。どれだけ無罪を叫ぼうと、孤独な戦いを挑もうと、全く勝ち目はない。攻撃は最大の防御なんて、ハリウッドや香港映画の世界だけの理屈。何も武器を持たない個人にできることは、とにかく「ちゃっちゃと逃げる」こと。無様でも格好悪くても、逃げて、逃げて、最後まで生き延びること。
 様々な主張や伏線が織り込まれ、過去と現在が錯綜しながらスピーディーに展開するこの作品。評判に違わず、ありきたりな話に堕すことなく、とにかく期待以上、文句なしの面白さだった。
 いつの間にか徹底的に構築されつつある情報管理社会の影、ケネディ暗殺事件と同じく、利権のために道具にされる"国民"、自らの意思も主張も存在しないハゲタカの如きマスコミ。生々しい恐怖や行き場のない憤りに身を震わせながらも、随所に散りばめられた著者独特のエッセンスに心を癒され、知らず知らず笑みがこぼれて来る。帰る道をなくして尚、どこかで繋がり続けている友情、青柳の父親や轟花火の親父の信念、胡散臭いながらも時と場合によっては心強い味方となる裏稼業の男。まともに一生懸命生きてきたんだもの、こっちにだって頼れる味方、信じてくれる者はいる!!(但し連続殺人犯"キルオ"だけは、最後まで何が言いたいのか分からない、違和感の残る人物だったが・・・)。一方、殺人と"痴漢"に関する独自の見解、最後にして最大の武器は「笑い」であるという自論、全体の軸である逃亡という"戦いの手法"に関しては、個人的にものすごく共感させられるポイント。守りたい物を守るためには、何をすべきか。勇気ある行動とは、こり固まった理想やイデオロギーに固執して、無駄に命を散らすことではない。
 エンディングについても、これまでの流れを十二分に汲み、著者らしい救いを感じさせる、説得力ある幕切れだったように思う。「習字の手紙」のオチは、もう見事としか言いようがない。ただ晴子にとっての「よくできました」と「たいへんよくできました」の理屈には、ちょっと引っ掛かるものが・・・・・。これは彼女自身も変化したと捉えるべきなのだろうか。

 久々に読んだ伊坂作品、犯罪をテーマにしたものが多いに関わらず、常にどこか特有の優しさのようなものを感じさせられる。ストレートな癒しとか励ましとかそういうタイプのものではなく、人間本来の持っているポジティブな力を、そっと気付かせてくれるような、さり気ない、ユーモアを伴った優しさ。今回は特にその雰囲気が自然に描かれ、状況の深刻さと絶妙にシンクロし、いつも以上に効果的な力を発揮していたように思う。

 魍魎の匣

 
魍魎の匣―文庫版 (講談社文庫)魍魎の匣―文庫版 (講談社文庫)
(1999/09)
京極 夏彦

商品詳細を見る


日本推理作家協会賞受賞

 深夜の駅で、ホームから転落し、重症を負った一人の少女。箱に詰められたバラバラ死体の四肢。美少女が「みっしり」詰まった箱を持って旅する男。箱を祀り、魍魎退治する奇妙な宗教。・・・・・・箱に纏わる怪事件の数々に、京極堂、探偵・榎木津、文士・関口らが挑む。

 占いと霊能と宗教は、ペテンと救済のあり方に於いて性質を異にする。救われたいと願っている人々にとって、そして救われる人間がいる限り、単純な"奇跡"トリックも、稚拙で卑俗な教義も、一概にペテンとして切り捨てることはできない。但し、信仰や救済の名を借りた、無関係な活動、そして人を救うことのできない紛い物のトリックについては、話は別、それ自体に存在の価値と意味を求めることはできない。ましてや対象とする悪が"魍魎"であった場合には・・・・・・・。
 古の人々が「妖怪」として形象化してきた様々な恐怖心や畏怖心、それらは単なる自然現象に対するものではなく、「それが当然でないように思える」時と場合に起きた際に、生まれるものである。つまり妖怪というものは、「呼びかけと返答という呪術的儀式」を媒介として、形と名を得、初めて成り立つもの。一方で、魍魎は大陸から移入された"名"であり、その形や性質を明確に定義することは非常に難しい。「形三歳の小児の如し。色は赤黒し。目赤く、耳長く、髪うるはし。このんで亡者の肝を食ふとい云」『百鬼夜行』に記された"絵"は、あくまで訳の分からないものに対するイメージが肥大した結果生まれた具体像であり、その存在そのものが独立して人間に取り憑く訳ではない。正体の知れない妖怪、人の身から祓うことのできない、掴み所の無い存在。時代や環境を越え、文化を越え、それでも衰えることのない力で人間を閉じ込めてしまう、魍魎。
 突き詰めようとすればするほど分からなくなる。魍魎とは何か、魍魎によって何が起き、何が始まろうとしているのか。事件の核に存在することは分かっているのだけれど、それを取り出して真相に結びつけることができない。謎に包まれた怪異事件の数々、どこまでも壊れていく人心と人身。陰陽師・京極堂と彼らの仲間たちは、どのような方法で、どのような経路を通って、"憑物"に行き着くことができるのか。そしてどのような形で、人々を救済することになるのか。

 通りもの、魔が差した・・・・・・・此岸から彼岸へと渡ってしまった人間の心と真正面から取り組み、その"心の闇"を、出来る限り曇りのない目で、杓子定規でない尺度によって、解き明かそうとした犯罪ミステリー。超自然的な力によってではなく、人間自身が、自らの心の動きによって、渡ってしまった"境界線"、纏ってしまった(閉じ込められてしまった)"魍魎"。一つ一つ剥ぎ取って行けば、生臭くおぞましい現実ばかりが露呈する事件、しかしその表層的な事実と原因の間に横たわる陰の世界を見ずして、全てを司る本質に辿り着くことはできない。合理的、科学的な論理では、魍魎から人を救うことはできないのだ。
 人の数だけ存在する陰と陽の世界。事件もまた、「人と人−多くの現実−の関わりから生まれる物語だ」。真実とはまやかしに過ぎず、事件の真相についても「それを取り巻く人間達が便宜的に作りだした最大公約数のまやかしに過ぎない」。
 
 事件の衝撃性、おどろおどろしい雰囲気を客観的に楽しみ、特定の犯人について、その表層的な動機を収集する。「ミステリ作品」、「物語」としてはそこで終わっても良いのだが、そこで終わらせない、その先の世界をも垣間見せ、読者自身をも憑物落としの儀式に立ち会わせてしまう、京極夏彦の作品の世界。後味の良し悪しは別として、どれほど奇抜で奇態に見える舞台であろうと、不思議と最後には客観性が薄れ、登場人物たちと共に己の心をも覗き込むことになる。此岸から離れ、理屈や理論から離れ、憑物に憑かれた一人一人の心の中に自身の欠片を見出す・・・・・・・・。だからこそ、最後の「箱に詰められた人間」の恐怖と感情は余りに生々しく、途轍もないリアリティを持って胸に迫ってくるし、「箱を持って旅する男」の人生」には、関口と同じく、哀しくもどこか羨ましさを感じてしまうのだ。

 古書店の主であり、神主であり、陰陽師であり、"安楽椅子探偵"である京極堂(中尊寺秋彦)、鬱病気味で余りに人間臭い文士・関口巽、"透視"の能力を持った探偵であり、飄々と世間を渡る、どこまでもマイペースな榎木津etc. 2作目にして、彼ら主役達のキャラクターも、より一層明確に際立つようになってきたように思う。性質は全く異なるながら、それぞれ独特かつ強烈な魅力を放ち、今後は更に誰からも目を離すことができない。カストリ雑誌の編集者・鳥口や刑事の木場、その他多くの関係者たち各々の人物造形もまた多彩で、著者の人間に対す深い観察眼、引き出しの多さを随所で確認させられた。
 複雑な伏線と、妖し気でおどろおどろしい舞台立て、ミステリー作品として引き込まれながらも、最後にはトリックにではなく、全体を貫く"陰"の世界の正体に納得させられる。見事に腑に落ちる、世界観と落とし所。いずれも1000頁を越す長編作ながら、とにかく読み出したら止まらない、読めば読むほどもっと読んでいたくなる、"魔薬"のような作品(シリーズ)。 

 マタンゴ−最後の逆襲

 
マタンゴ―最後の逆襲 (角川ホラー文庫 12-23)マタンゴ―最後の逆襲 (角川ホラー文庫 12-23)
(2008/01/25)
吉村 達也

商品詳細を見る


吉村達也

 富士山麓の樹海。自殺の名所であり、一度迷い込んだら容易に出て来れない曰く因縁付きの地。そのどこかに大型ヨットが打ち捨てられ、周囲をキノコ人間が彷徨っている−いつの頃か生まれ、静かに広がっていった「都市伝説」。真偽を確かめようと彼の地を訪れた「都市伝説研究会」のメンバー7人は、濃霧の中、蛇のようにうねる極彩色の光の帯に導かれ、樹海の奥深くへ迷い込んで行った・・・。そして10年後。宇宙ビジネスプロデューサーや宇宙飛行士、キャスターや女優、細菌学者等、それぞれの道で成功を収めた7人は、再びかつての都市伝説と向かい合うことになる。

 マタンゴ。言うまでもなく、ウィリアム・ホープ・ホジソンの「闇の声」を元に、星新一と福島正美が原案を担当した日本怪奇映画の名作(1963年)。キノコ人間たちの「ホーホーホー」という咆哮と、艶かしい水野久美(「みんなでキノコになりましょう」)がトラウマ的に心を魅了した、あの忘れじのカルト作品。初めて存在を知ったのは、筋肉少女帯の楽曲「マタンゴ」を通してだったか、あの「タマミー、タマミー」の絶叫も、相当に衝撃的な思い出だ。

 時を経て、2008年1月に出版されたこの吉村達也版、「マタンゴ」続編。太平洋の孤島に置き去りにされた「あほうどり」号とキノコ人間たちが、何故か富士山麓の樹海に登場、その謎を追っていくと、日米間のとんでもない軍事的機密が暴かれることになる・・・。

 映画自体も当初の時代背景を受け、米軍のビキニ環礁水爆実験への抗議や、核に対する恐怖等のメッセージが指摘されていたが、この作品ではキノコへの変容過程(発病)について、完全に科学的、現実的な解釈が試みられている。国家を巻き込んだ「キノコ人間」兵器の開発、宇宙的規模で語られる軍事計画の暗部、そして映画以上に逃げ場や救いのない、真に絶望的な幕切れ。現実の生活の中で「キノコ病」を発病する恐怖、その描写のグロテスクさ等、確かに新たなホラー作品として衝撃を与えるものではあるが、ただ続編(オマージュ)としての二番煎じ感はどうしても否めない。また、個人的な思い入れによるのかもしれないが、そもそも映画版「マタンゴ」、「キノコ人間」の世界について、筋道を立てて理論的に説明し、現実の中に組み込み、白日の下に晒してしまうということに、如何ともし難い抵抗感を感じてまった。何だか訳の分からない異空間、突拍子もない怪異現象、圧倒的にグロテスクで、だけどどこか人間の滑稽さを感じさせるキノコ人間、そしてそこから生還してきた村井の最後の言葉、「本当に(救出されて)良かったのだろうか」。漂流という極限状態の中で姿を現す人間の真の姿、そこに覆いかぶさるマタンゴの世界。ミステリアスで怪奇な空間だからこそ、それぞれが別個のメッセージを二重三重に受取り、様々なことを想像し、考えさせられる。あの世界はやっぱりあれで幕を閉じてしまった方が良かったのではないだろうか・・・。
 更にこの続編では、キーワードがマタンゴであるべき必然性が薄れ、ただの筋書きの道具のために存在しているという印象が否めない。またマタンゴやキノコ人間自体の醸しだす幻惑的な魔力、恐怖感、人間に対する警鐘等がすっかり色褪せ、ただの禍々しい忌むべき現象に成り下がっており、そこに最大の寂しさを感じた。

 銀河鉄道の夜

 
新編銀河鉄道の夜 (新潮文庫)新編銀河鉄道の夜 (新潮文庫)
(1989/06)
宮沢 賢治

商品詳細を見る


 ”夢の中で大切な人の死を知る”
 貧しく、病気の母親を抱え、父親は行方知れず、働きながら学校に通い、同級生からは苛められる。そんな厳しい環境の中で生きる少年ジョバンニは、ある星祭の夜、銀河鉄道に乗って、友人カムパネルラと一緒に旅をする夢を見る。天上=天国に行くための"死の旅"。ジョバンニはこの旅の中で「天上」(天国)ではなく「みんなの幸せを探しに行くこと」を決意し、そのためなら何でもしようと決心する。しかし目が覚め、カムパネルラが友達を助けるために川に飛び込んで溺死したことを知る・・・。

 現実はどこまでも過酷だ。それでも生きていかなければならない。銀河鉄道の旅は、絶望の淵に佇むジョバンニの心に一つの灯りを灯し、人生の目標を見つけるための契機だったのかもしれない。その使命をみつけたからこそ、鉄道の旅を終えることができ、"生"の世界に戻ってくることができたのかもしれない。しかし夢から覚めた後、ジョバンニは更に悲しい現実と向き合わうこととなる。"現実"と親しい人の"死"という二つの重荷を背負い、それでも夢の決意を忘れることなく、生の道を歩み続けることができるだろうか。
 真の底に辿りつけないもどかしさ、やりきれなさが残る一方で、自身の心象風景が投影されたかのような懐かしさを感じ、いつまでも心を捉えて離さない。夢を見て、泣きながら目覚め、それでももう一度夢の中に戻りたくなるような感覚、とでも言おうか。読む度に新たな発見があり、色々な解釈が生まれてくるが、それでも常に変わらず印象的なのは、人の"魂の死"の情景。その途方もない喪失感や心を蝕む心細さ、不安感、そして何より心に染み付いて離れない"余韻"。幻想的な風景を通じて、ひたひたと伝わってくるこの"余韻"こそ、もしかしたら(残された)人間にとっての"死"の原風景なのかもしれない・・・・・。


 楽園

 
楽園 上 (1)楽園 上 (1)
(2007/08)
宮部 みゆき

商品詳細を見る


 「模倣犯」から9年。一時はライターとしての道を放棄しかけた前畑滋子だったが、長い年月をかけ少しずつ気持ちの整理を行い、現在はフリーペーパー専門の編集プロダクションに席を置く身となっている。そんな折、知り合いの編集者からある女性の話を聞いてやって欲しいと頼まれる。交通事故死した一人息子の遺品の中に、現実の事件を"透視"した絵が紛れ込んでいたというのだ。両親が娘を殺し、遺体を床下に16年間隠し続けてきたというその事件について、息子は発覚の数ヶ月前に既に気付いていた。予知能力か幻視能力かは分からないが、とにかくサイコメトラー的な力があったのではないだろうか。突拍子もない話に困惑しながらも、息子が何を見、何を感じていたのか知っておきたい、息子の思い出を過去のものとして葬り去りたくない、という女性の切実な思いに心を動かされ、滋子は再び"事実"を突き止めるための単独調査へ乗り出す・・・。

 禁断の果実を口にし、神の楽園から追放された人間たちは、自らの手でそれぞれの楽園を思い描き、自身の力によってそこに辿り着かなければならなくなった。歪んだ楽園、呪われた楽園、他者や自身を犠牲にして築き上げた楽園、虚構、幻覚、思い込み、真の幸福に満ちた楽園など本当はこの世に存在しないのかもしれない。それでも人間は人生の先に楽園を求めてしまう、それが自身の生の映し身だということに気付かないままに・・・。感じ方は様々だと思うが、結局は自身が何を大切にし、何を求め、どう生きてきたか、楽園というものはそれらの抽象的な形に過ぎないのではないだろうか。ここではない何処か、予め予定された到着地点などは存在しない。楽園は捜し求めるものではなく、ほんの小さなきっかけ、些細な出来事の積み重ねによって、自然と形成されていくもの。例え夢見た楽園が地獄への入り口に過ぎないとしても、それは個々人が自ら選択し、歩み続けた人生の残滓に他ならない。
 
 家庭の不和、親子間の断絶、児童虐待や監禁等、社会の暗部の問題点が、前畑滋子という女性の眼を通し、歪められることなく誠実に真っ直ぐに描かれており、非常に好感の持てる読後感。「模倣犯」のトラウマから立ち直るためのリハビリ的事件と言えなくもないが、どうすることもできない悲劇、選択や判断の行く末を手をこまねいて傍観するしかできない現実について、滋子同様、考えさせられることは少なくない。犯人や真相についての意外性、衝撃性は比較的大人しいものであるが、"幻視"という超自然的なモチーフが作品から浮き上がることはなく、不思議なほどしみじみとした寂莫感が漂う。最後の救いである敏子や等の関係、それぞれに影響し合う登場人物たちの造形、描写等、手を抜くことなく(時に念入り過ぎる程)丁寧に綴られ、作品の世界に引き込む力は相変わらず健在だ。ただラスト近く、生々しい既視感と戦慄を感じさせる少女監禁事件の下りで、最終的な解決をあのような形にしてしまったことには多少違和感を覚えなくもない。また昌子を通して描かれた茜の暴走の根幹部分、何もしなかったという罪を抱えた両親との関係については、崩壊がエスカレートしていく過程を交え、もう少し多くの場面を割いても良かったのではないだろうか。もっともこの点については敢えて描かない、書くべきでない心理というものを考慮すべきかもしれないが。
 二つの家庭と親子関係を見つめながら、此岸と彼岸の遠さ、楽園の存在について思いを馳せる。前作との比較において賛美両論ではあるが、個人的には味わい深い、ゆっくりと時間を掛けて消化したい作品。

 最後に本筋とは直接関係ないが、印象的だった言葉。
 (いい思いをしなくちゃ損だ、という"バブル時代"の人生観について)、「それって、今もたいして変わってないんじゃないでしょうか。ただ"いい思い"が"充実した人生"とか"自己実現"とか、きれいな言葉に置き換わっただけで」それも、実はお金で買おうとしてるんですから・・・」(上巻p223)


 孤宿の人

 
孤宿の人 (上) (新人物ノベルス) (新人物ノベルス)孤宿の人 (上) (新人物ノベルス) (新人物ノベルス)
(2008/05/22)
宮部 みゆき

商品詳細を見る


 讃岐国の丸海藩は罪人・加賀野守守利を流人として預かることになった。幕府の勘定奉行の職にありながら突如乱心、妻子と部下を切り殺し、申し開きもないまま沈黙を続けている。丸海藩にとっては厄介な課役、預り物、とりあえず"涸滝"の屋敷に幽閉することになるが・・・。加賀氏到着の前夜から丸海では不可解な流行病、事件が多発し、次第に民心を不安と混乱に陥れていく。鬼、悪霊の祟り、暗黒の企み、お上の強圧的な命令、様々な力が絡み合いながらも、事態は意外な局面に向かって動き始める。

 ドラマチックでありながら、途方もなく叙情的で美しく、そして悲しい物語である。変えることのできない運命、厳しい身分制度、ともすれば閉塞感を感じがちな暮らし、それでも人間が主体的に生を営む限り、そこには必ず救いと道標が存在する。加賀様、無垢な少女ほう、お転婆で利発な"女"引き手・宇佐を始めとし、様々な人間が様々な運命の中で惑い、流され、傷つきながらも自分なりの"方向"を模索し、それに向かって懸命に生きようとする。自身の生を"宝"とするために・・・。
 鬼や悪霊といった闇の力は外にではなく自身の内に存在する。この一貫したメッセージも物語の中で幾度となく語られ、人間の残忍さや身勝手さ、本当に恐れるべき所業といったものが浮き彫りにされていく。畏怖、崇敬の念と恐怖は表裏一体のもの、而してそれらを超越し、全ての本質を見抜くことのできる魂というものも存在する。少女ほうに託された著者の思いと願いが胸に痛いほど染み、最後の場面は涙なくして読み進めることができない。
 
 四国讃岐の丸亀藩をモデルとし、海に開かれた地方小藩の生活、漁業や紅貝染め業、堀外と堀内の風景等、細かくリアルに語られ、タイムスリップしたかのようにすっと物語の世界に入り込むことができる。しかしそこで目にするのはノスタルジーに溢れた世界ではない。著者の他の時代小説に比べ、ある意味生々しく、重苦しく、リアルな世界であるも、どこか幻想的で不思議な浮遊感を感じてしまう。ストーリーの組立てや登場人物の色鮮やかさは言うまでもなく、この独特の風味、空気感が何とも心を捉えて離さない、ひどく印象的な作品。

 人質カノン

 
人質カノン (文春文庫)人質カノン (文春文庫)
(2001/09)
宮部 みゆき

商品詳細を見る


 深夜のコンビニを襲った強盗犯が落としていったのは、アヒルの絵のついた赤ちゃんのガラガラだった・・・。電車で拾った新品の手帳に一つだけ書かれていた女性の名前、その正体とは。自殺を覚悟していた女性を救ってくれたのは、深夜の学校の"肝試し"だった。死を賭けても信じたいものがある、それが崩れ去った後でも人生は続いていく。
 
 心に迷いを持ったり、人生に絶望したり、負のエネルギーに引っ張られそうになったり。そんなときでもほんの少し視線を転じてみれば、そこには出口に続く道がきっと見つかるはず。人間は一人ではない、人の数だけ様々なドラマがあり、悩みがあり葛藤が存在する。何はともあれまず外に目を向けてみること、例え他人であっても何らかの繋がりを見出すことで思わぬ答えが転がり落ちることもある。
 現代版下町人情劇と言おうか、ちょっとした心の風邪が治りそうな、じわじわと元気の出てくる作品集。ミステリー仕立てでぞくっとするような場面にもたまに遭遇し、謎解きの楽しさも味わえる。短編でもストーリーテラーとしての魅力が存分に発揮され、読み応えのある一冊。


 ぼんくら

 
ぼんくら〈上〉 (講談社文庫)ぼんくら〈上〉 (講談社文庫)
(2004/04)
宮部 みゆき

商品詳細を見る


 江戸深川の"鉄瓶長屋"で殺人事件が起きた。殺し屋の仕業かと思いきや、被害者の妹が語り始めた意外な真相とは・・・。差配人の失踪、突如博打や妙な宗教に嵌る店子たち、櫛の歯が欠けるように1人、また1人と去っていく住人たち。一つの事件をきっかけに、平穏な長屋暮らしは思いもかけぬ騒動に巻き込まれていく。そこに颯爽(?)と登場したのが"ぼんくら"な同心・平四郎。煮物屋のお徳を始め、鉄瓶長屋の住人たちとは昔からの顔馴染みで、日に一度は立ち寄り、何やかやと油を売っている。四十をとうに越しているとは言え、顔にはいつも髭の剃り残し、子ども好きでもないのに子どもに懐かれるのは仲間だと思われているからか、とにかく面倒臭い事が大嫌いで、人の顔や細かい事柄を覚えるのが大の苦手。そんな平四郎でもここ一番という時には頼りになる男。新しく"弟子入り"した甥の美少年・弓之助と共に恐るべき事件の陰謀に憤然と立ち向かう!!

 ぼんくら同心と長屋の個性的な面々とで怪事件を解いていく連作集かと思いきや、それぞれの事件が一つの真相へと繋がっていく長編時代モノだった。輪が閉じるように、全ての因果が最後にぴたりと合わさる様はまさに圧巻、ここでもお馴染の宮部ワールドを存分に堪能することができる。平四郎や弓之助を筆頭に次々と登場する人物たちも遊び心一杯、頓知の効いた会話やユーモラスな所作には事件の暗い影も霞んでしまうほど。しかしいくら義理人情を掲げてみたところで、それだけでは済まされないのがこの世の常。人間には裏の裏が、事件の真相にはそのまた裏が、掴まえたと思っても「真実」はいつもするりと手の中をすり抜けていってしまう。「本当のこと」なんて本当はどこにもないのかもしれない、それぞれの当事者が真実だと信じ、それで己が救われるのであればそれで全て事足りるのかもしれない。等々、最後にはやや達観の心持ちで"鉄瓶長屋"の騒動を締めくくってみた。何はともあれ、謎解きのスリル、色とりどりの人間模様、江戸の豊かで風情ある暮らし等、贅沢で実に読みどころの多い作品だ。


 あかんべえ

 
あかんべえ〈上〉 (新潮文庫)あかんべえ〈上〉 (新潮文庫)
(2006/12)
宮部 みゆき

商品詳細を見る


江戸・深川の料亭「ふね屋」には5人のお化けが住み着いている。優男の若侍、美人で艶かしい姐さん、しわしわで達磨みたいな按摩さん、仁王のような風貌で刀を振り回す男、そして何かと「あかんべえ」ばかりする少女。ひょんなことから彼らと親しくなった「ふね屋」の1人娘おりんは、亡者の世界について少しずつ理解を深めていく。なぜ彼らは死ななければならなかったのか、なぜ成仏できずに今も彷徨い続けているのか、どうしたら安らかに眠ることができるのか。彼らを助け、成仏させるために、おりんは懸命に過去を探る調査を始める。30年前にこの地で起きた忌まわしい事件、次々に明るみに出る"知らなければよかった"事実、そして現在とのつながり・・・。人情溢れる時代モノとファンタジー&ホラー、本格ミステリの要素が見事に融合した感動傑作。

 何と言っても主人公の"おりん"がいい。可憐で健気で心が清い、それでいて勇敢で気が強くおちゃめな少女。初っ端からすっかり虜になってしまい、行動一つ、台詞一つに堪らない程の愛おしさ、微笑ましさを感じてしまう。この位の年代の少女特有の性質、雰囲気が丁寧にリアルに描かれ、作者の観察眼、筆の上手さに感服することしきり。「お化けさん」たちの方もこれまた個性豊かで、曰く付きの過去を持つ者ばかり。
 
 そしてやっぱりここでも、本当に恐ろしいのは人間の心。歪んだ形で噴出する憎しみや妬み、恨み、"心"を切り捨てた者の持つ信じがたい程の残酷さ。成仏できない魂にはそれだけの理由がある。また彷徨う魂=亡者たちの姿を目ることのできる人間には、必ず相応の心の"しこり"がある。絡み合った様々な因縁、それらはあの世とこの世を繋ぐ糸であり、現世の人間の力によってしか解きほぐすことができない。人情推理といっても実際には緊張感溢れる本格ミステリ、その過程で目にする生々しい人間模様には思わず既視感に似た生々しさ、身につまされるような恐怖を感じた。特に「おつた」のエピソードと「井戸」の描写は鳥肌が立つほど衝撃的。
 亡者との関わり−少々"荒療治"ではあるけれど、最も効果的な魂の救済法なのかもしれない。亡者(お化け・幽霊)の概念はなぜ存在するのか、改めて考えさせられた気がする。

 あやし

 
あやし (角川文庫)あやし (角川文庫)
(2003/04)
宮部 みゆき

商品詳細を見る


 江戸が舞台の怪異奇談小説集。孕ませて捨てた女中が思いもかけぬ復讐を仕掛けたり、嫁姑の確執が血みどろの悲劇を生んだり、ある店では奉公人を一晩、奥の布団部屋に閉じ込める奇妙な慣わしがあったり、鬼を分身として現世を生き抜いた女性が登場したり、納戸の唐紙に女の生首が浮き上がったり・・・。妖かしの魑魅魍魎と人間の心の闇とが混ざり合って紡ぎ出される異空の世界。人間の業を生々しく抉り出されたような痛みと、人情の温かみ、異世界と同化することによってのみ見出すことのできる救い。背筋がぞくっとするような、それでいて妙に味わい深い怪談が次々に語られ、どれもがずしんと来るような胸の重みを感じさせる。江戸の文化風習の細やかで臨場感溢れる描写も見逃せない。
 特に好きだったのは「時雨鬼」。18歳のお信は、初めて出来た恋人にもっと稼ぎの良い奉公先に移るようそそのかされ、その気になりつつどこか不安で、顔馴染みの口入屋の主人に相談に行く。しかし出てきたのはおかみと名乗る見知らぬ女で、全てを見透かされた上に、馬鹿な真似をするなと窘められる。初めは反撥心を抱いていたお信も最後に聞かされた「時雨鬼」の話に動揺し、逃げるように帰途につく。その数日後。訪ねてきた岡っ引きの手下に、お信は口入屋に関する信じ難い事件の実情を聞かされる・・・。一体何を、誰を信じればいいのか。疑いと迷いと祈るような気持。"鬼"の正体を見極めるのは、昔も今も確かに並大抵のことではない。


 墓場への切符

 
墓場への切符―マット・スカダー・シリーズ (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)墓場への切符―マット・スカダー・シリーズ (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)
(1995/10)
ローレンス ブロック

商品詳細を見る


 私立探偵スカダーシリーズ。主人公スカダーは警官時代、知り合いの娼婦エレインとともに、ある精神異常者を刑務所送りにした。そして12年後、出所した犯人は「スカダーと彼に関わった女たち全員を葬り去る」という言葉通り、狂気の復讐劇を開始する。何度も襲われ、死の淵に瀕したエレイン、そして最後にスカダーが下した"最終的な審判"とは。。。
 憎んでも憎みきれないほどいやらしく、非人間的な犯人モットリーには、全ての面において怖気と脱力感しか感じることができない。最後の"選択"は小説の中だからこそ可能な行為なのかもしれないが、現実の社会においても同じ思いを抱き、同じ行動を取るべき場面は決して少なくないと思う。法だけでは決して裁くことのできない"人間でないもの"の罪とその制裁の手段について、改めて深く考えさせられた。
 また本作品では、前作に続き主人公スカダーの心身両面での変化、成長等がリアルに描かれており、それもシリーズものならではの魅力となっている。辛く重い過去を抱えながらも、悪癖(アル中)を克服し、自分の人生を再度生きようとする決意、様々な迷いを抱き、自分の選択や決断に確固とした自信を抱けないまま、それでも前に進もうとする姿、これらが等身大の人間として読者の共感を呼び起こし、スカダーに対する愛着を抱かせるのであろう。ポーズやスタイルにこだわった"男臭さ"でなく、人間の内面の葛藤や苦しみ、無常さを含蓄ある言葉で描いた文学的なハードボイルド作品である。事件の複雑さや衝撃性は少ないにしても、さらっと読みこなすことのできない深い味わいと余韻を持ち、その独特の雰囲気、空気感にはいつまでも酔いしれていたくなる。